姥殺し沢(うばごろしざわ)の伝説・・②

昭和51年に発行された「羽後の伝説」という秋田の民間伝承の逸話をまとめた本に下記のような記述が見られます・・。                                       


「昔この村(旧南秋田郡昭和町)に古くから、彼岸の日には山へ行ってはいけない。

 という固い禁忌があったが、ひとりの姥(うば)が禁を破って彼岸の日に元木山に入った所、

 不思議にも天から大石が降ってきて彼女に当たり死んでしまった。

 現在この地内には小祠があるが、その祠の中には大きな石が祀られてある。

 この石が天から降って姥を殺したとの伝えがあり「姥殺し沢」の地名も

 そこからでたとこのことである・・。」                                  

この禍々しい地名からして、呪怨とか八つ墓村とかみたいなもっとオドロオドロしいエピソードなのかと思ったけど・・意外に普通?で安心しました・・(^_^;)    

さっそく「羽後の伝説」に記載されている地図を片手に現地に向かってみます・・。

秋田市から国道7号線を北上し約30分、昭和男鹿半島インターの斜向かいにある元木山公園内に、そのポイントがありました・・。

ただカーナビでもグーグルマップでも、「姥殺し沢」なる名称は表示されません(当たり前か)

車を降り、グーグルマップの航空写真を元にポイントである野球場の向かい側の沢に降りてみます・・。

ちなみに余談ですが、この野球のスコアボードの裏側で今年スズメバチ退治の仕事を手伝いました・・(^_^;)

ココには江戸時代の有名な紀行家「菅江真澄」も来てたんですね・・。

史跡表示柱に「姨(おば)石といふあり・・」という文字も見えます・・。

「姨(おば)」と「姥(うば)」は広義では同じ意味ですから・・同じ場所に同じような文字があるのは偶然なわけが無いと思い、その関連性を調べてみましたが・・残念ながら見つけられず・・。

ただ、「姨石」をネットで調べると長野県の姥捨山の伝説が表示されます・・。

信濃国の姥捨山というのは、年来母のように慕ってきた姨を、妻の命令で甥の男が月夜に更科山に登って捨てたことからそう呼ばれるようになった。

 その姨の怨念が石になったものが姨石である・・】とありますが、この地も同じような慣習が有ったって事なのでしょうか・・。

ちょっと長くなりましたので、③に続きます・・。

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