オボコ沢・・弐

秋田県立図書館収蔵で昭和56年に刊行されている「大舘史」には、

『 オボコは赤ん坊のことでオボコ沢は「子捨て場」をさす語。場所は青少年ホームの横の窪地とも東台窪地とも言われる。ケカジ(飢饉)のために間引きした子供を捨てたのが始まりとも不運で生まれて子供を捨てたともおぶった子供を井戸に落としてしまったアダコの幽霊が出るようになって子捨て場になったのだとも伝えられている』

という記載があります。

また、地元の文学者 河田竹治 が記した 「北鹿の伝説と迷信」には、

いまの三の丸、 旧中央公民館の裏側に空堀があった。その空堀に土橋が掛かかってあり、そこから電柱三本くらい入ったところに沢があった。昔そこの沢に子供が生まれると、必要以外は殺していたのでおぼこ沢という名がつけられた。夜中になると、子供の泣き声が聞こえたり、火の玉がとびかうなどして恐れられていた。 自分の孫爺さんから現在までも語りつがれてきたおばこ沢の秘話、おそらく、明治生まれの人には、耳あたらしいことではないだろう。

また大舘の著名な実業家「木村泰治」の伝記には、

明治初頭、大館には生計が苦しいと嬰児を殺して捨てる風習がまだ遺っていた。大舘城址の西北側に今でもわずかながら面影のある「オボコ沢」がその捨て場所で今でもかすかな鬼気の漂う場所である。当時は死に切れない嬰児の泣き声さえ聞こえたという。八人兄弟の末っ子ということで厄介者扱いされた泰治も当然間引きの対象となり、父も母もオボコ沢行きを覚悟していたが生まれた日が仏の日4月8日ということで偶然生かされた。後年{ 世にありて善きことなせと赤児捨つる嬰児沢(おぼこざわ)の神われを生かしき }という詩を詠んでいるとある

という記載もあります・・。

上記の文献中に「 大舘城址の西北側 」 「 青少年ホームの横の窪地 」「 旧中央公民館の裏側の空堀 」という三つのキーワードがあります・・。

たぶんそこを探し当てられたら伝説のオボコ沢があると思うので・・近々探索して線香をあげてこようと思います・・。

 

オボコ沢・・壱

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