合気道の源流を探して・・①

(2018年8月の投稿なんですが、サーバー不具合で消えてしまった写真を補完しながら修正しアップしています。)

あんまり他人に話すことは無かったんですが、実は僕「古武術」マニアなんです・・。

まぁなんじゃそのヘンチクリンな趣味は?って話なんですが・・。

高校では合気道、北京に留学してからは中国拳法を習ったんですが・・実はそれもこれも二人の武術家に憧れてたからなんですよね・・。

一人は中国武術史上最強(最凶)と恐れられ、清朝末期に実在した八極拳の達人「神槍・李書文」、もう一人は合気道を創始した「植芝盛平」の師匠である大東流合気柔術の中興の祖「武田惣角(たけだそうかく)」という人です・・。

大東流合気柔術については成り立ちに置いて諸説あるようですが、戦国時代甲斐武田信玄の家中御留技だった甲冑武術が、武田氏滅亡後会津藩に伝えられ、会津御式内(おしきうち)と名を代えた秘伝の技法を、幕末のどさくさの中で会津藩家老であった西郷頼母から武田惣角が伝授され、刀術主体の系統を体術用に編纂し新たに創始したもの、という説が有力なようです・・。

この武田惣角と言う人は、我々古武術ファンからしてみたら知らない人はいないくらい伝説的な人物で、身長が150センチ足らずにも関わらず、風呂上がりに濡れた手拭いを手刀替わりに使い当時北海道最大の暴力組織「丸茂組」の組員を60人も叩きのめしたり、秋田警察署の柔道場で当時日本一と言われた猛者「児玉高慶」を片手一本で投げ飛ばしたりと、数々の伝説に彩られた超人的な武術家なんです・・。

僕は彼の関連本だけで20冊以上持ってる大ファンなのですが、先日仕事で福島県会津若松市に立ち寄った時、武田惣角の生家が近くの坂下町にあり、お孫さんの武田宗光という方がそこで正伝の大東流を伝えてるという話を聞きつけ、居ても経ってもいられなくて行ってみました・・。

詳細は後程・・。

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