数年前、柳田國男(日本民俗学の父)が記した不朽の名著「遠野物語」に出て来る「ダンノハナと蓮台野」という逸話を見て以来、何故か強烈に「姥捨て山」に興味が沸いてきました・・。
なんででしょうか・・僕も前世か前々世にどっかの山に捨てられたことがあったのかもしれません・・(^_^;)
現在、民俗学者が肯定する学説では「姥捨て」「棄老」という悪しき悲しき習慣は近代日本には存在しなかった、という事になってるようですが、どう考えてもこりゃソレだろうという地名が今でも日本各地に残っています・・。
たとえば「ジジ捨沢(秋田県男鹿市)」、「姥捨所(福島県双葉郡)」、「人骨山(千葉県安房郡)、「爺転ばし・婆転ばし(山梨県西八代郡)、「人落とし・人落とし穴(岐阜県吉城郡)」、「死人谷(岡山県総社市)」、「六十落し(岡山県真庭郡)」、「六十崩し(京都府竹野郡)」、「捨て磯(高知県香美郡)」、「棺桶コロガシ(兵庫県篠山市)」等々なんですが、その性質上あからさまには出来ない黒歴史の為、史実は闇から闇に葬り去られ、古老の口伝や古い地名以外、町の正史や文献から除外されてきたのが現実のようです・・。
だけど、なぜかこの岩手県遠野にだけは地名のみならず、不思議とその痕跡が生々しく残ってるんですよね・・。
デンデラノは蓮台野(れんだいの)が訛った言葉だそうですが、「死者の霊の行く地」という意味があり、全国的にも今でも地名として使われているようです・・。
そしてダンノハナは「壇の塙」とされ、棄老の地デンデラノで死んだ老人のための墓所だったそうです・・。
このデンデラノとダンノハナは基本的には一対とされ、遠野界隈では7か所も同じ対の地名があり、何処もその中間に集落が配置されているんだとか・・。
デンデラノの入り口「高室橋」まで来てみました・・。
ななんとご丁寧に、橋銘板にはお婆さんを背負う息子の姿が・・(^_^;)
この奥が伝説の姥捨て山になります・・。
上がってみると、なんとなく思い描いてた風景とは掛け離れていました・・。
ふつうに日当たりの良い緩やかな丘の上に平地があり、眼下には捨てられた方たちが以前暮らしていたであろう民家も見えるのです・・。
実際、遠野物語には「デンデンラ野に送られた人々は、農繁期には里へおりて家族を手伝い、息子たちに少しの食べ物をもらってまたデンデラ野へ帰ってきた」というエピソードが書かれています・・。
もしかしたら、姥捨て山は僕らが勝手にイメージしている山奥の二度と帰ってこれないようなオドロオドロしい場所ではなく、現代でいう老人ホームみたいな気軽な場所だったのかもしれませんね・・。
当時は今と違って頻繁に飢饉も起きたようで、健常な若者にも餓死者が出るようなことが度々あったようですし、老人たちも愛する子供や孫たちの為に納得の上で、この丘に上がってきたのかもしれません・・。
たぶんレプリカでしょうけど、かつての住居をモチーフにしたと思われる住居・・。
ここも意外と快適だったのかもしれないなと思うと、なんだか僕まで救われた気持ちになりました・・。
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