秋田県南部にある横手市大森町にある珍地名「女郎出(じょろうで)」
現代風に訳すと「ソープランド嬢輩出の地」って事だと思うんだけれど・・普通であればちょっと隠したいような事なのに・・なんで堂々と地名にする必要があったんでしょうか・・(^_^;)
カーナビには「女郎出」の他に「女郎出尻」までもが御丁寧に表示されています・・。
近所を散歩していたオバアチャン(まさか・・以前は・・)に、ちょっと話を聞いてみました・・。
僕 「スンマセン・・ここあだりへんって、なして女郎出って地名なんだすか?」
バサマ 「ん?すぐちかぐさローソンあったべ?コンビニの。あのアウェ(青い)看板の。あっこあだりはムガシ十日町って言われでイヂ(市)出るぐれのマヂ(街)だったおの。それにあの上が平べってぐなってる山みれ!あそごさムガシ「八幡太郎義家」が城建てだ事あったど。んだがらコゴは今はなーんも無ども、当時は城下町で栄えであったんだどよ。んでマヂの遊郭さ、こっから娘っ子が身売りしたって話だで・・。おえも(私も)おえのバサマがら聞いだごった・・」との事・・。
多少は翻訳しておりますが・・理解出来ましたでしょうか・・。
ですが、実はバサマが彼女のバサマから聞いた話とは違う説があるようです・・。
天平時代の女性歌人に「紀小鹿女郎(キノ オシカ イツラメと読む)」という人がいました・・。
彼女は遊郭に居たからそんな名前を付けられていたわけではありません・・。
万葉集で使われている(郎女)(女郎)は、男性の(卿)(大夫)にあたり、大雑把にいえば高貴な女性に対する尊称なんだそうです・・。
家族に極めて身分の高い官人(大臣や大納言など)がいる場合に限り「女郎」の書法を用いたようですので、現在我々が思い浮かべる「女郎」の意味とは違ったんだそうです・・。
実際、紀小鹿女郎は万葉集を編纂した歌人「大伴家持」の恋人で、当時は高貴な人は高貴な人としか結ばれなかったそうなので、遊郭の遊女だったらそんなことはあり得ないんだそうです・・。
なるほど、そーいう事であるならば、この女郎出という地名は隠したい訳がなく、却ってココは高貴な女性の出生地だったんだぞ!と自慢げに名付けたくなったというのもしっくりきますよね・・。
でも残念ながら、その地名になるぐらいの高貴な方が誰だったのかは資料や文献は遺って無いようです。
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