『大平山の麓、秋田市太平目長崎に国定重要文化財に指定されている嵯峨家住宅がある。
江戸時代には界隈の肝煎(村おさ)を代々務めた家柄で、文化九年には紀行家の菅江真澄が宿泊し随筆「月のおろちね」を遺している。
また秋田藩主が鷹狩の際に休憩した部屋も現存しており、旧奈良家同様秋田を代表する遺構とされる。
この嵯峨家に河童から伝授されたという腎臓病の家伝薬が今もひっそりと伝えられている。
同家の脇を流れる大平川は今も大きく蛇行し深い淵を作り渦巻いているが、当時そこの一本の柳の木の下(通称おたま淵)に河童が棲んでいた。
ある日嵯峨家の若衆達が淵で馬を洗っているとき、ヌシである河童が馬を淵に引きづり込もうとしたが、逆に力の強い若衆に川岸に引き上げられた。
捕まった河童は嵯峨家に連行され殺されそうになったが「我々河童しか判らない腎臓病の妙薬を授けるので助けてください」と当主に命乞いをした。
当主は取引を了承し、代々子孫にその処方箋を伝え村人たちの悩みを救ったという。
その薬や製造器具は今でも嵯峨家に保存されているという。』
秋田市で古美術商を営む福島彬人氏が記した「奇々怪々あきたの伝承」に、この様な記述があります・・。
実はこの嵯峨家から利部家に数代前に嫁いできた方がいるらしく、要は僕の遠い親戚筋に当たります・・。
ウチの変り者オヤジに、その河童の妙薬の話をしたら明日連れて行ってくれるとの事・・。
ということで詳細は後程・・。
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