江戸時代に刊行された『久保田城下百物語』には、当時秋田藩士が実際に出くわしたという巨大な頭部に全身毛むくじゃらの妖怪「長野坂檜山屋敷のオトロシ」が描かれています・・。
200年程前に秋田県内を隈なく遊覧し民間伝承の権威ともいえる菅江真澄が言うには、県南部山間に在る稲庭村に逗留した際、沢口地区に在る通称「化け物坂」で妖怪オトロシとかヌラリヒョンとか野槌(ツチノコ)が度々現れ、人々をかどわかしているので誰もそこには近づかないという噂を聞きつけ、1814年草稿の「雪の出羽路雄勝郡」にその詳細を記したというのです・・。
この伝説は現在地元民にも殆ど知られていない逸話なのですが、そんなポイントが実際に在るなら見てみたいじゃないですか・・。
と、いうことで当時「化け物坂」と呼ばれていた坂があるという秋田県湯沢市の稲庭町沢口地区に来てみました・・。
そーです・・稲庭町は日本三大饂飩としても有名な稲庭饂飩発祥の地です・・。
カーナビが示す沢口地区は意外と広いので片っ端から神社や坂を探索してみます・・。
ポイントは「さへの神坂(賽の神坂、又の名を道祖ノ神坂)を小雨の降る夕方に通ると男性の場合は美女とすれ違い、女性の場合は色男とすれ違う事がある。また妖怪のぬらりひょん、おとろし、野槌(のづち)の百鬼夜行が見られる時がある。人はそこを化け物坂という。」のうちの名称がはっきり書かれている「賽の神坂」と「道祖ノ神坂」の所在だと思うんですよね・・。
ですがいろんな資料を調べても賽の神坂も、道祖ノ神坂という坂も記述は無いし現存を確認できません・・。
でも「賽の神」「道祖神」というのは地域、土地に関わる民衆の神、自然の中で我々をひっそりと見守ってくれてる神として日本全国で祀られていて、同じ位置づけとして「氏神」「鎮守神」「境の神」「土地神」そして「産土神」が同様に崇められているということが判りました・・。
この写真を見てください・・。
「産土神社」を見つけました・・。
長靴じゃないのでこれ以上雪の中を入っていく勇気はありませんが・・この坂の手前に魔物や災いを遠ざける結界を張り、ヌラリヒョンやオトロシを牽制していたって事なんじゃないでしょうか・・。
産土神社の横に通る、沢口地区でたった一つの坂・・。
画面から感じ取って頂けるか判りませんが、何か只ならぬ妖気を感じます・・。
当日は雨も降ってなかったし、まだ暗くも無かったので美人にもヌラリヒョンには会えませんでしたが・・たぶんココが菅江真澄が言ってる「道祖ノ神坂(化物坂)」で間違いないでしょう・・。
次回は夏場に車じゃなく、歩いて上ってみようと思います・・。
帰りは化物坂から車で5分ほどの「佐藤養助総本店」で美味しい饂飩を食べて帰りました・・。
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