河童の薬を探して・・②

僕のオヤジの名前が利部敬次、そのまたオヤジが雄治郎(祖父・別項参照)、そのオヤジが銀平、そのまたオヤジが礼蔵と言います・・。

明治初期、この利部礼蔵さんに、河童から薬を授かったという嵯峨家からセンさんという方が嫁いできたんだそうです・・。

ということでセンさんは僕の高祖父母、僕は彼らのヤシャゴに当たるということで、今回親戚として特別に屋内を見せてもらう事になりました・・。

現当主、嵯峨信行さんと僕のオヤジ・・。

屋内は撮影禁止の為、写真はこれのみですが、秋田藩主の佐竹さんが鷹狩の折に休んだ部屋とか、河童に引き込まれた馬を繋いでた厩とか、国定重文指定の由縁をいろいろと見せてもらえました・・。

肝心の河童から授かった腎臓薬や、薬草を磨り潰す道具は無かったんですが、資料は数年前から秋田県立博物館に研究の為預けてるんだとか・・。

嵯峨家の目の前を流れる太平川・・。

そしてここが当時の嵯峨家の人たちが河童と遭遇したという「おたま淵」・・。

うちのオヤジもここで泳いだことがあるらしく、川が直角に曲がってるせいなのか、かなりの深底で渦巻いているので、近年まで水難事故も多かったそうです・・。

もしや河童の仕業なのか・・(^_^;)

県立博物館の担当者も僕の親戚筋らしいので、詳細もう少し調べてみます・・。

 

河童の薬を探して・・①

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