猿酒・・①
1933年(昭和8年)5月30日付けの秋田魁新報に「菅江真澄時代の猿酒現存する」という見出しの記事が掲載されています。 以下(省略)抜粋。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 江戸時代の偉大なるジャーナリスト菅江真澄の著書にも…
1933年(昭和8年)5月30日付けの秋田魁新報に「菅江真澄時代の猿酒現存する」という見出しの記事が掲載されています。 以下(省略)抜粋。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 江戸時代の偉大なるジャーナリスト菅江真澄の著書にも…
秋田犬発祥の地としても有名な秋田県北部「大館市」の正史に、下記の様な伝説が記されています・・。 「大舘十二所の軽井沢に古城がある。戦国の世には額田淡路守の居城であったが、源氏の流れを汲む浅利氏に攻め滅ぼされた。浅利氏の奇…
江戸後期から明治初期にかけ、久保田藩士だった石井忠行が記した「伊頭園茶話」に、秋田県横手市平鹿町のとある集落について、下記の様な逸話が残されています・・。 ■湯沢村と岩崎村の間に明沢村といふあり。この村の外れに横死者が数…
秋田県横手市にある珍地名「嬲沢(なぶりさわ)」・・。 近くを通ったので久々に行ってみました・・。 ここ数年、いろんな文献を調べて見るも、この名前の由来を示す資料は出てきませんでした・・。 たぶん姥捨て、子捨て同様、負の歴…
「天保巳年(1833年)の飢饉は前後数年続き、死者が道端にゴロゴロ溢れていた。またその頃は生まれたばかりの子供を山に捨てたという。藤里町の十六貫の向え沢を『赤子沢』と呼ぶのは、その子捨て場に行かなければならない母親の嗚咽…
「秋田市八橋を流れる草生津川の一帯は昔から油が湧き出、川水は五色に濁り、異臭を放っていたので『臭水(くそうみず)』と呼ばれた事からこの名が付いたという。現在臭水川は草生津川(くそうずがわ)に改名された」 秋田県立図書館に…
「男鹿半島山中から生ずる野村川の「貝田沢」から引いてきた水はトンネルを通って一ノ目潟に注いでいる。この水道トンネルの出口の西方に古来『親なげ沢』があると言われている(男鹿北浦住人・嶋宮栄三氏談)」 「男鹿半島北浦西水口の…