秋田県立図書館に所蔵されている「羽後の伝説」には、切支丹首塚の所在に関して
「東長根にキリシタン杉とよばれる杉の大樹があり、江戸時代初期キリシタンの信徒、数十名の首を埋めた塚がこのあたりだと伝えている」と書かれています・・。
当時(17世紀初頭)は、横手仙北界隈だけでも600人以上の切支丹がいたそうですね・・。
安土桃山時代から江戸時代になって制度(禁教令)が変わっても信者は減らず、世にいう「隠れキリシタン」となって信仰を続けていたらしいのですが、運悪く捕まって処刑された人も少なからずいたようです・・。
寛永元年(1624)八月十六日、仙北善知鳥(うとう)の切支丹信徒十三名を横手で斬った。
同年八月四日、仙北寺沢村信徒十四名を久保田城外に於て斬罪。安田村に張付八十ヶ余り、其外打首数十人掛さらし。
同年八月十八日、平鹿郡臼井村の農民切支丹十四名を横手で斬った。
との記述も古書に見つけられます・・。
なんとも残酷な時代だったんですね・・。
ま、話を戻します・・。
横手市から由利本荘市方面に抜ける国道107号線沿いに「東長根」ではなく「車長根」という場所があり、その田んぼの中に明らかに不自然な杉の木が三本立っています・・。
「もしかして羽後の伝説で書かれてる場所ってココなんじゃね?学者が調べてる割には意外とアッサリ見つかるじゃんか!」と思って、近づこうと思ったんですが積雪が酷くカンジキでも無きゃ辿りつけないのでアッサリ断念しました・・(^_^;)
秋田市に戻ってから、さあ結果をブログに書こうと思ってネットでいろいろ調べたら
「切支丹の刑場は、今日判然とはわからぬ。そこには古い松の巨木が二本立って居り、その根を掘った時に無数の白骨があらわれたと言われているが昭和初期に伐採されている」と別の古書にまた違った記述があるじゃあーりませんか・・(^_^;)
じゃあアレは三本だし・・違うじゃん・・(^_^;)
その方曰く有力なのは横手市の「安田原」だと書いてますが・・まあ結局は判らんそうです・・。
コレ以上キリシタン塚を探しても僕になーんの得もないし、お宝が出て来るわけでもないので探索はひとまずこの辺で・・。
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