夜叉袋(やしゃふくろ)・・①

文治6年(1190年)1月、蝦夷地遠征のため八郎潟の氷上を渡ろうとしたの軍5000人が溺死した・・。

通常なら厚い氷の平原になる場所なのだが、その年は暖冬で馬場目川の河口の深淵では氷が薄くしか張っていなかった為の悲劇と伝えられている・・。

氷が割れた場所は今も遺る蝦夷湊(えぞみなと)周辺で、何故かても5000人分のドザエモンはかった・・。

その変わり、夜毎人魂が浮遊し、その現象は年にわたって続き、通行人がず良くない事がた・・。

叉が出る々潟がな事だ・・

それでもこ叉ふくろと呼び、江戸時代以降「夜叉袋」という地名が定着した・・。

 

秋田県南秋田郡八郎潟町の古い資料に、このような記述が見られます・・。

以前から近くを通るたびに何でこんなオドロオドロしい地名なんだろうと不思議に思ってたんですが・・こーいう事情があったのね・・。

「夜叉」は民間では古来から人を喰う鬼や悪霊、亡霊を意味し、秋田市土崎港で毎年行われるの曳山祭りの掛け声「ジョヤサー」は元々「徐夜叉」からきているとも言われております・・。

そして「袋」は水害のある土地に多く見られる地名です・・。

ひとだまが未だ見れるか判りませんが・・見れたら中学生以来なので、後程調査をしてみます・・。

 

 

 

 

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