秋田市泉に建立されている天徳寺の佐竹家霊廟の左に、三代目藩主佐竹義処公の側室(覚性院 清子)の墓がある・・。
その墓は何故か一つだけ木製で、明治維新の頃まではシメ縄をかけてあり、人々は「猫婆(おにばば)の墓」と呼び、近づくと祟りがあると恐れられていた・・。
当時この清子が法度である耶蘇教信者(切支丹)であった為、徳川幕府の嫌疑を恐れた佐竹家家中の者に極秘裏のうちに暗殺されたと言われている・・。
またこの事件にはいくつかの異説があり、彼女のしぐさが猫そっくりだったので幕府には猫又(化け猫)が清子に化けていたので已む無く退治した、と報告されたとも言われている・・。
秋田県立図書館に所蔵されている「秋田名跡考一」「伊頭園茶話」の一項にこのような記述があります・・。
天徳寺は会社から直ぐ近くなので、今度見てこようと思います・・。
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